狭山茶の歴史を紐解くと、12世紀から800年以上の歴史がありますが、意外に知られていない事実があります。
狭山茶があったからこそ存在する意外な「モノ」が、これをお読み頂いている一部の方の役に立っているかもしれません。
さあ、
その意外な「モノ」とは??
電車です!
具体的には、
JR八高線とJR横浜線です。
ご存知でない方のために、JR八高線は高崎(群馬県)から八王子を結ぶ路線で、JR横浜線は八王子から横浜を結ぶ路線です。
実はこれらの路線、明治時代は、
貨物用の路線だったのです。
もうここで日本史にお詳しい方ならご明察かと思いますが、明治時代に大きな輸出量を誇っていた
横浜港、主要輸出産品は
「生糸」と「茶」です。
富岡製糸場に知られるように
群馬県は繊維業が盛んな「生糸」の主産地でした。
そして、高崎から八王子の経路にある
金子台地は言うまでもなく、今も狭山茶の大生産地です。
つまり、JR八高線とJR横浜線のルートは、「生糸」と「茶」を運び込み、当時のメイン輸出港である横浜まで持っていく最適経路であったわけです。
高崎から、生糸を積み、そのまま金子でお茶を積み、八王子に商品を集めます(JR八高線のルート)。
「八王子商人」という言葉があるように、八王子は商業の街でした。そこから横浜港まで運ぶのです(JR横浜線のルート)。
欧米諸国で日本茶ではなく、紅茶が消費されるようになってからは日本茶の輸出は激減しましたが、
そのルートが旅客用路線となり、周辺地域にお住まいの皆様の足として活用されているのです。
この狭山茶についての歴史は調べてもなかなか出てきませんが、狭山茶地域に住む我々にとっては大変興味深いものであります。
先人たちが積み上げてきた狭山茶の歴史の重さを感じずにはいられません。
私の心の中では、そのトロッコは今も走り続けているのです。
2020年5月1日 執筆 代表取締役社長 石田英希